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HOME > 海外移住資料館だより > 第24号 海外移住探検隊 Vol.9

        モルフィーちゃんと行く!海外移住探検隊 Vol.9

モルフィーちゃん
沖縄と海外移住

〜郷土愛で結ばれたウチナーンチュたち〜
 

 降り注ぐ太陽の光、美しいビーチとサンゴ礁、そして独自の文化を持つ沖縄。みなさんは沖縄にどのようなイメージを持つでしょうか。海に囲まれたちゅら島(美しい島)沖縄。そこに住む人々の心は遠い昔から海の向こうに開かれていたのかもしれません。戦前、戦後を通じ多くのウチナーンチュ(沖縄人)が移民として世界へ旅立ち、移住した先の国で自分たちの伝統文化を守り子孫に伝え、母県との絆を持ち続けています。今回の海外移住探検隊は「海外移住」をテーマに、魅惑の島沖縄を探検していくことにしましょう。

世界各国から5,000人以上が集結! 第5回世界のウチナーンチュ大会

 沖縄から移住した人たちや、その子孫である2世、3世たちが、母県に集まり、沖縄県系人のネットワークを構築し、次世代へそのアイデンティティを継承することを目的に、5年に一度行っている「世界のウチナーンチュ大会」(主催:沖縄県)。今年は第5回にあたり、10月12日(水)から16日(日)までの5日間、世界23カ国2地域から約5,200人を超える大会史上最多の沖縄県系の人たちが集まり開催されました。
  那覇市のメインストリート・国際通りを各国からの参加者が行進する前夜祭パレードに始まり、3時間にわたる開会式、「世界エイサー大会2011」や「空手道・古武道交流祭」など沖縄伝統の武道・芸能を通じた交流、海外ウチナーンチュ企業家と県内外企業との交流推進を図る「ワールドビジネスフェア」、次世代を担うユースがネットワーク強化について議論する「グローバル次世代プロジェクト」など母県との絆を強化し参加者同志の交流を深める様々なイベントが行われ、県民も合わせ31,000人が参加したグランドフィナーレでのカチャーシー(祝いの踊り)で幕を閉じました。

「おかえりなさい」
国際通りで迎えよう

世界各国の民族衣装に身を包んだ世界のウチナーンチュによる凱旋パレード。(中略)沿道に詰めかけた県民と再会の喜びを分かち合います。
(公式パンフレットより)
写真はペルーの行進


お父さんや、エイサー仲間、留学生OB とともに閉会式に参加する仲地さん(中央)

JICA日系研修員、仲地アウロラ恭子さん(ブラジル)も参加! 
 仲地さんは現在、JICA日系研修員として、沖縄県名護市にある名桜大学大学院で高齢者の健康・生活の質に関する疫学統計の研究をしています。
「ブラジルで、ボリビア、アルゼンチン、アメリカなど世界中に支部がある『琉球國祭り太鼓』に所属しエイサーを始めて6年になります。初日の開会式でもエイサーを踊りました。『空手道・古武道交流祭』ではブラジルで空手の先生をしている父とともに空手の型を演じました。沖縄には『いちゃりばちょーでー』という一度逢ったら皆兄弟という意味の言葉があります。いろいろな国のウチナーンチュに出会い、言葉は違っても心はひとつという気持ちを共有できました」

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海を渡った沖縄人

 沖縄はなぜ移民が多いのでしょうか。日本では室町時代から戦国時代に当たる14世紀から16世紀にかけて、沖縄は琉球と呼ばれる王国で、明や日本本土をはじめ、マレー半島のマラッカ王国、パタニ王国、タイのアユタヤ王朝など東南アジア諸国とも活発に交易を行っていました。その後、ヨーロッパの台頭などにより交易は衰退しますが、海に囲まれた沖縄特有の歴史が、海外進出についての気質を育んだのかもしれません。
  明治政府により琉球王国が解体され、さらに廃藩置県が行われましたが、人頭税など前近代的な制度が長く維持され、改革が遅れた沖縄は、社会的、構造的に大きな変革が必要でした。
  こうした中、本土と同様に沖縄でも移民政策がとられます。ハワイへの移住は1885(明治18)年の官約移民により本格化しますが、沖縄からの移住は、1899(明治32)年、契約移民26人に始まり、第2次大戦前の1938(昭和13)年までに約2万人がハワイへ移住します。これを足掛かりにさらにアメリカ本土にも進出していきました。
  南米ペルーへは1906(明治39)年の第3次より移民が始まりましたが、1918(大正7)年からは約半数を沖縄県人が占めました。現在ペルーの日系人約80,000人の内約70%が沖縄にルーツを持つといわれています。
  1908(明治41)年、笠戸丸によるブラジル第1次移民781人中、沖縄県人は325人と41.6%を占めました。そのうち一部はさらに南下し、アルゼンチンに再移住しています。ブラジルには戦前、戦後を通じ約21,000人、アルゼンチンには約7,000人余りが沖縄から移住しました。
  第二次大戦までは、サトウキビなど熱帯農業や漁業従事者として旧南洋群島に日本人が移住し、1937(昭和12)年には約62,000人を数えましたが、その55%に相当する34,000人が沖縄出身者でした。さらに1942(昭和17)年には、県出身者は57,000人と、日本人の79%を占めるほどになりました。
  かつての海洋民族を先祖の一つに持つウチナーンチュは、こうして続々と海を渡ったのです。


                                    ※2010年度推計値(出典:沖縄県交流推進課)

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戦場となった沖縄と海外移住の再開

 1945(昭和20)年、沖縄本島にアメリカ軍が上陸。沖縄は一般人も巻き添えにした戦場と化しました。戦後はアメリカ軍政下、琉球政府が置かれましたが首都那覇の90%が焼失するなど、戦災により沖縄の経済はどん底の状態でした。
 移住者たちによる沖縄救援策の一つとして、戦後も海外移住が1954(昭和29)年、アルゼンチン、ペルーへの近親者による呼び寄せから始まりました。また、琉球政府が米軍支配下で独自の移住政策を展開し、ボリビアへの開拓移民を計画します。1954(昭和29)年の第1、2次合わせて405人を皮切りに1964(昭和39)年の19次まで3,298人が入植しました。
 また、ブラジルへも戦後では国内最多となる9,494人が移住しています。

ボリビアへの移民は原生林の開拓から村作りを始めて、 今ではOKINAWA村としてボリビアの公式地図にも載っているのよ。ここで、オキナワ移住地の歴史を見ることができるわ。
オキナワボリビア歴史資料館
http://dms-okinawabolivia.eg.jomm.jp/

移民とゆいまーる(助け合い)精神

 大正末期から昭和初期にかけて沖縄県の疲弊していた経済にとって、移民からの送金はまさに頼みの綱でした。
 記録が残る1912(明治45)年から1921(大正10)年までおよそ100万円前後が毎年送金されていますが、1929(昭和4)年の198万円という送金額は県歳入総額の66.4%に相当するほどでした。1933(昭和8)年には200万円を突破し、1937(昭和12)年には3,567,094円とその頂点に達していました。
 太平洋戦争で壊滅的な打撃を受けた沖縄に心を痛め救済に立ち上がったのも海外のウチナーンチュたちでした。南米では呼び寄せによる移民の受け入れに手を上げ、ハワイを中心に戦災沖縄救援運動は米国本土や南米に広がり、各地で沖縄救済会・救援連盟等が結成されました。ハワイ沖縄救済連盟は米軍船により衣服や食料、種豚などを送りました。
 当時、米国の為替制度では、現金を日本に送ることが禁じられていましたがGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の許可を得、アジア救済連盟LARA(ララ)に救援資金を送金しララが物資を購入、沖縄へ配給するルートが開かれ、1947(昭和22)年秋に配給が始まりました。

モルフィーちゃん

ララから送られた物資には、衣類食料のほかに寝具類、 種子油(なたねあぶら)、粉ミルク、ビタミン剤、石鹸、ノート、鉛筆、 白墨(はくぼく)、色紙、野球・ソフトボール・テニスなどの運動用具、印刷用原紙やインク、ピアノ・オルガン、ミシン・工作用具・理化学実験用具、書籍類、医薬品、靴・おもちゃ、漁具、乳 山羊(やぎ)・豚・豚疫病(えきびょう)ワクチンなどがあったのよ。


沖縄への郷土愛から各地で戦災沖縄救援運動が広がり支援物資が送られた。1945年12月15日。ハワイ、ワイルク昭和青年会館にて (沖縄県公文書館蔵)


戦前にハワイへ移民した東風平(こちんだ)村民からの寄付によって昭和23年ごろに作製された字世名城(よなぐすく)の村芝居衣装。沖縄戦で甚大な被害を受けた郷土復興の活力となるよう十五夜行事を復活させた
(八重瀬町立具志頭(ぐしかみ)歴史民俗資料館蔵)

ウチナーンチュの深い絆

 沖縄には様々な歴史がありますが、移民もその重要な一部を構成していると言えそうです。人口に比しても移民の数が多い沖縄では、親戚の誰かが海外に移住しているとか、10人集まればだれか一人は身内に移住者がいるなどと言われます。それほど、移民が身近で、県民全体が移民に対して感謝の気持ちを持っているからこそ、今もウチナーンチュ同志、深い絆でつながっているんですね。

(参考)






『沖縄県と海外移住』(国際協力事業団沖縄支部)     
「琉球文化アーカイブ」ウェブサイト(沖縄県立総合教育センター)    
第5回世界のウチナーンチュ大会 移民資料展展示    
石川友紀「郷土愛で結ばれたウチナーンチュ(沖縄人)の移民史」(『海外移住』 No.580 国際協力事業団)    
『沖縄県史』第7巻(沖縄県教育委員会)    
『国際交流関連業務概要』(沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課)

 

 
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