海外移住資料館
新着情報
概要
常設展示
企画展・催し物
学習プログラム
利用案内・交通案内
図書資料室(海外移住)
ボランティア活動
海外移住資料館だより
移住資料ネットワーク化プロジェクト
キッズコーナー

情報検索システム
キッズコーナー貸出教材 いみんトランク 貸出についてはこちら
企画展『海を渡った花嫁物語』特別サイト 特別展示 移民の暮らし
特別展示 ハワイに生きる日系人

独立行政法人 国際協力機構 JICA横浜


 

HOME > 海外移住資料館だより > HAWAIIAN DREAM

HAWAIIAN DREAM

日系二世のリビングルームから〜 南信司写真展



MASAICHI CHINEN &YUKIKO CHINEN Hakaiau,Hawaii

  企画展示室では現在、写真家・南信司さんの写真展を開催中です。撮影の仕事で幾度となく訪れたハワイで南さんが出会ったのは、ルーツである一世から伝承され、 さまざまな文化とミックスされながら今も南国で息づいている、なんとも不思議な日本文化。戦争による苦難や差別を乗り越えてきた日系二世の人々の話に、南さんはいつしか魅了されていったといいます。今回展示しているのは、プライベート・ワークとして6年間に亘って撮り貯めてきた日系人を主題とした写真の中から選んだ49作品。南さんにとって、かけがえのない作品とそこに登場する人々についてお話を伺いました。


EBESUGAWA Sisters
Hilo,Hawaii



  日系二世の5人姉妹で一軒の花屋を営むエベスガワさん姉妹。旦那さんの何人かはすでに他界され、姉妹だけで花屋を切り盛りしている。「日々コツコツと」という言葉をそのまま表したような人たちで、いつ会っても素敵な笑顔。
  いろんな種類の花をたくさん作っているが、大きな仕事のひとつがハワイ島周辺に住んでいる一世、二世たちの葬儀花づくり。ハワイの葬儀花は、ヒマワリなどを使った大きなもので、自分たちの作った花で日系の方々を送り出しているのだと話す。

  実はこの写真、日本酒の広告にオファーをいただいたんです。仕事のために撮った写真ではないので断っていたのですが、広告のイメージを見せてもらったところ、新潟の中越沖地震で大変な被害に合われた酒蔵さんで、がんばって再生していこうというメッセージでした。それならぜひ協力させていただきたいと思い、すぐにハワイに電話したところ、快く許可して下さって。
  代理店から「日系とはいえアメリカの方たちなので、一応全員のサインをもらってほしい」と言われ、ハワイまでサインをもらいに行ったのですが、預かった出演料をお渡ししようとしたら、メチャメチャ怒られました(笑)。「私たちは南さんの写真に協力しただけなんだから、お金なんか受け取れない」って。そういう感覚ってなんだか日本の田舎のおばあちゃんみたいだなぁと思いました。僕のお金じゃなくて、クライアントさんからの謝礼金なんだということを必死で説明して、どうにか受け取ってもらったという思い出があります。

KOGACHI san Family tree
Kaneohe,Oahu

  二世のコガチさんとそのご家族(左下)。普段は本土にいる子どもたちが久しぶりにハワイに集うタイミングで撮影された。
  リビングの一角には、家族の歴史を象徴するような写真が飾られている。中央にある白黒の写真がハワイにやってきた一世の両親、そこからコガチさん一家がどのように広がっていったのかが見て取れる。一見無造作に飾られているように見えるが、これらの写真も、そこに秘められた人々の思いも、大切にされている。

  コガチさんの奥様は、白人女性。日系二世で白人と結婚されている方ってほとんどいないんですよ。差別がありましたから。コガチさんは、第二次大戦中に米軍兵士としてヨーロッパに遠征し、ヨーロッパ戦線でナチス軍の迫害から逃れてきたポーランドの人たちと出会うんです。そこで出会ったのが現在の奥様。ドイツ系ポーランド人の女性です。白人だけれどもアメリカ人ではない。しかも、ハワイでなく別の場所で出会ったから結婚することができたそうです。
  髪の色も顔の形も、しゃべっている言葉も、いろんなものがミックスされていることが、この家庭ではごく当たり前の光景で、それってとても素敵なことだなぁと思いました。



KATUMI KAZAMA
Aiea Hight,Oahu

  日本庭園のような素晴らしい庭に立つのは、和食レストラン事業で大成功されたカザマさん。「日系人」=「和食」という組合せを裏切ることなく、カザマさんの家はとことん「日本」にこだわっている。仏壇と神棚が同居する不思議な空間も、カザマさんにとっては日常の風景だ。

  カザマさんは、戦争が始まったときに多くの日系人が混乱状態にあった中で、ハワイに残ってたくましく生きてきた方。和食チェーンの事業で大成功を収めたこともあり、家の中はとにかくコテコテの日本です。自慢の瓦は日本から取り寄せたそう。もちろんアメリカにも瓦はありますが、わざわざ日本から取り寄せたということが彼の誇りなんです。
  庭の池も本格的です。ただし、いくら日本の材料を使って日本のものを作ろうとしても、そこはハワイで、どうしても映画のセットのような世界になってしまっている。でも、その感じがまた味わい深いと感じました。彼の「日本観」は、一世から引き継いだものだけで構成されていて、仏壇も神棚も同じ場所に一緒くたに存在しています。しかもお盆の提灯も毎日出しっぱなしで飾られていて、すべてが「こういうもの」として存在しているんです。

SHINOBU SATO
Hilo,Hawaii



  ハワイで日系人向けに放送されていた日本語ラジオ放送最後のDJ、サトウさん。日本語を話す一世がたくさんいた時代には、日本語放送の需要が多く、英語になじんでいない一世のお年寄りにも情報を正確に伝え、演歌も流して人気があった。しかし、一世の数が減ると同時にリスナーも減少。彼女の引退を機に、日本語放送自体が終了となった。

  ヒロにある和食レストランにご一緒したときのこと。同じレストランに、若い日本人観光客がいました。その店で出される料理を食べて、彼らが「うわっ、甘ぇ!」とか「こんなの日本食じゃないよね」とか言うのが、日本語が堪能な彼女には全部通じてしまう。そのときに彼女が寂しそうな顔をしてポツリと、「日本から来た方のお口には合わないんでしょうね」って言うのを聞いて、あぁ、この感覚の「ズレ」を僕たちは何とかして超えられないものかと思いました。僕たちが理解しなくちゃいけないのは、それは「日本食」ではなく、現地で脈々と食べ続けられてきた現地の食べ物なんだということ。もちろん日本食の看板は出しているけれど、日系の人や現地のアメリカ人が楽しむためのもので、そこには、「時間」が存在している。それを食べる人たちの愛情があって、だからこそいまもなお残っているわけで…。彼女の一言から、そんなことを考えました。

SHIRO MATSUO“SAIMIN Shiro”
Aiea,Oahu



  ハワイ特有の麺料理、「サイミン」のチェーン店を経営するマツオさん。「サイミン」とは、一世がハワイに行ったときに、現地の食材でなんとか日本風のものを食べたいと、ラーメンに似たものを作ったのが発展し定着したと言われている。
  彼が着ているのは古いヴェルサーチ。彼にとってはこれが、自分自身を鼓舞するためのコスチュームみたいなもので、決して撮影用にわざわざ着ているわけではない。かなりの高齢になるはずだが、いまでも現役で現場をしきっているという。

  マツオさんは、戦後、日系二世ということでろくな仕事もなくて大変な時代だったときに、なんとしてもはい上がりたいとがむしゃらに頑張ったそうです。トイレ掃除でもなんでも笑顔で必死にやってきた過去があるからいまがある、とても分かり易い成功者です。彼のこの表情って、彼が生きてきた中で得た強さだと思うんです。この、ちょっとよれて色あせた感じのヴェルサーチが、なんだかすごくカッコイイ。
  お宅にお邪魔してみると、部屋のいたるところに写真が飾られていて、しかも日本的な写真が多い。彼の外見から、それがとても意外でした。いかに自分が日本っぽいかということをアピールしたい気持ちが、心のどこかにあるのかもしれません。若い頃に受けた差別というものが、それほど辛かったんだろうとも推測でき、それが彼のビジネスの原動力にもなっているのだと僕は解釈しました。

 

次ページへ続く

 
このページの先頭へ
JICA ロゴ
海外移住資料館ホームページHOME