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収容所生活を描いた画家、 ヘンリー杉本ってどんな人?

 

  ヘンリー杉本は、1900(明治33)年に、和歌山県海草郡(現在の和歌山市)で生まれました。
ヘンリーの両親は、ヘンリーがまだ幼いころに出稼ぎ移民として北米カリフォルニア州に移住しています。そのため、ヘンリーは幼少期を祖父母のもとで過ごしました。
1919年、旧制中学校を卒業した19歳のヘンリーは、両親の呼び寄せにより、単身でカリフォルニアに渡ります。渡米後しばらくは農園で働いていたヘンリーですが、次第に、「このまま英語もろくに話せず、季節労働者として一生を渡り歩くのは嫌だ」と考えるようになり、子どものころから得意だった絵の勉強をはじめ、画家の道を目指すようになります。
念願叶ってカリフォルニア州オークランド芸術大学に入学。その後、さらに美術専門学校の油絵科で学び、1929年にパリに留学すると、31年には新人の登竜門であるサロン・ドートンヌに入選を果たします。翌年カリフォルニアに戻ると、「パリのサロンで認められた日本人画家」として注目を集め、画家としての地位を着実に築いていきました。

風景画家として活躍していたころの作品

Henry SugimotoHaystack of Voulangis, 1932 Gift of Madeleine Sugimoto and Naomi Tagawa, Japanese American National Museum (92.97.77)


しかし、順風満帆だったヘンリーの画家人生は、41年の日米開戦により大きく変わってしまいます。アメリカ政府による、日系人の強制収容が始まったのです。
ヘンリーは、家族と共にカリフォルニア州フレズノ仮収容所からアーカンソー州ジェローム収容所へ送られ、その後、ロワー収容所に移動、3年以上もの期間を収容所内で過ごすことになりました。
仕事も地位も家も財産も手放さなければならなくなった理不尽な強制立ち退きの現実、鉄条網に囲われ常に憲兵に監視される生活、戸惑う子どもたちの姿、1世たちの言いようのない不安と、2世たちのやり場のない怒り・・・。そんな、収容所内の風景を、ヘンリーはつぶさに記録しました。その作風は、パリ時代に確立した風景画家としてのそれとは異なり、目の前の現実や心の叫びを、ありのままに描いたものでした。

殺風景な荒野にバラック小屋が建ち並ぶ、アーカンソー州ロワー収容所。収容所は、万が一の暴動を想定して、人里離れた砂漠地帯や荒野に建てられていた。 収容所内では強制労働はなく、3度の食事が保証されていた。日系人ばかりが集められたため、「はじめて偏見差別の目を気にすることなく暮らすことができた」という人もいた。 (アーカンソー州ジェローム収容所)


収容所から解放された後のヘンリーは、ニューヨークに居を構え、個展を開催するなど再び画家としての活動を再開します。1964年には日本への一時帰国を果たし、二科展に出品。収容所内で描いた一連の作品「キャンプ・シーン」は、戦後35年が経った1980年になって、はじめて祖国日本でも公開され、高い評価を受けました。翌81年には、勲六等単光旭日章を受賞しています。
83年、米議会による「米国市民の戦時中の強制疎開と収容に関する委員会」公聴会で、ヘンリーは「キャンプ・シーン」の絵画とともに証言台に立ちました。そして88年、レーガン大統領は「第二次大戦中の日系人強制収容は誤りであった」とし、収容者に対しひとり2万ドルの補償金を出すという法案にサインしています。
1990年、ヘンリーはニューヨークで90歳の生涯を閉じましたが、2007年には、和歌山市から「偉人・先人顕彰」を受けています。

 

和歌山県と海外移住

 ヘンリーの生まれ故郷である和歌山県は、沖縄、北海道、広島、福島などに次いでたくさんの移民を輩出した、いわゆる「移民県」。険しい山々と海に囲まれた地理的条件もあり、進取の気性に富む人々が多く輩出されたといわれています。そのためか、アメリカ、カナダ、ブラジル、オーストラリアなどへの移民が多く、漁業や鉄道、鉱山、農業などに従事していました。労働は決して楽ではありませんでしたが、日雇いの賃金は当時の日本の4倍ほどもあり、そのほとんどが日本の家族へ送金されていたといいます。
  中でも、カナダ移民を多く出した美浜町三尾村では、移住した家族からの送金で村のあちこちに洋風の家が建てられたり、凱旋帰国を果たした人々の服装や生活スタイルが欧米風であったりしたことから、大正時代から「アメリカ村」と呼ばれるようになりました。
ヘンリーの父親(亀太郎)もまた、アメリカで鉄道技師として一旗揚げることを夢見て、北米へと移住して行ったひとりでした。

移民からの送金で建てられた家や、移民が外国から持ち込んだ文化が、日本の西洋化や国際理解を進めていったとも言えるわね!

和歌山市民図書館 移民資料室
和歌山市にある和歌山市民図書館には、国内の公共図書館としては唯一の「移民資料室」が開設されています。たくさんの移民を輩出した和歌山の歴史にちなみ、1984年に、移民に関する書物を集めて作られました。所蔵しているのは、書籍、雑誌、新聞のマイクロフィルムなど、約1万点。1部の資料はウェブサイトからの閲覧やデータベース検索も可能です。
生前、ヘンリーは、自身がこよなく愛した故郷の和歌山市に、大壁画(2×8m)と「キャンプ・シーン」を描いた36点の絵画、18点のスケッチを寄贈しています。今回、資料館で公開された作品20点は、すべて、和歌山市民図書館に所蔵されているものです。

●住所:和歌山市湊本町3丁目1番地 電話:073-432-0010
URL: http://www.lib.city.wakayama.wakayama.jp/wkclib_doc/imin/imin-top.htm
●開館時間:月〜木(10時〜17時30分) ●休館日:金曜

カナダ移民歴史資料館(旧アメリカ村資料館)
和歌山県日高郡美浜町出身のアメリカ移民(主にカナダ移民)の歴史と経験を紹介した資料館。1978年の開館以来、移民たちの生活用品や地元の歴史を解説したパネルや写真などを展示しています。

●住所:和歌山県美浜町三尾2113 ●電話:0738-62-2326
●入館料:100円 ●開館時間:9〜17時(不定休)

常設展示場にも、第二次大戦中の日系人強制収容に関連した展示コーナーがあります。

外界から遮断され、24時間監視される収容所生活ではあったものの、所内の活動は比較的自由でのんびりしていたといわれています。これは、アリゾナ州の収容所に収容されていた一世が作った民芸品。

カリフォルニア州のマーセット仮収容所の計画図。強制収容命令が執行された時点では、まだ収容施設の建設が終わっていませんでした。そのため、都市周辺の競馬場などが仮収容所となったのです。馬糞の匂いが残る厩舎で寝なければならなかった屈辱は、いまも語り継がれています。

ユタ州のトパーズ収容所の風景を描いた版画のポストカード。寒風が吹き荒れる砂漠地帯に作られた収容所の様子が伝わってきます。

 

 
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