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HOME > 海外移住資料館だより > 第17号 海外移住探検隊 Vol.2

第17号(2009年Autumn) 

        モルフィーちゃんと行く!海外移住探検隊 Vol.2

モルフィーちゃん
南米に住む青い蝶の妖精、モルフィーちゃん。 海外移住資料館のあれこれを、みなさんと一緒にお勉強します。 どうぞよろしくね!!
 
 

海を渡った花嫁物語

Japanese Brides across the Ocean
海を渡った花嫁物語

 海外移住資料館では現在、2006年度から3年間にわたって実施してきた学術研究プロジェクト「海を渡った花嫁たち―日本人女性移民の研究―」の成果として、企画展「海を渡った花嫁物語」を開催しています。(12月20日まで)
独身の女性が単身で海外へ行くなんてとんでもない!と思われていた時代の日本から、自分の意思で花嫁として海外へ移住する道を選び、新天地での人生を切り開いて生きてきた女性たちの人生を探ってみましょう。

「花嫁」として異国に嫁いだ女性たち

海外へ夢を求めた女性たちの先駆けとも言える「花嫁移民」。その方法は、大きくわけてふた通りありました。

「写真花嫁」 
戦前のアメリカ本土やハワイ、戦後のブラジルでは、移住した独身青年たちの多くが、現地で結婚相手を見つけられずに困っていました。独身の日本人女性の数が圧倒的に不足していたのです。この事態をなんとかしようと行われたのが「写真結婚」。
移住先の男性との写真によるお見合いと文通だけで、お互いに一度も会うことなく結婚することを決心し、夫の住む国へと旅立った女性たちは「写真花嫁」と呼ばれました。

写真結婚につかわれた お見合い写真 写真結婚につかわれた お見合い写真 123写真結婚につかわれた お見合い写真

写真結婚につかわれた お見合い写真



米軍兵士との集団デート

米軍兵士との集団デート

「戦争花嫁」 
第二次世界大戦に敗れた後の日本には、アメリカ軍の兵士たちがたくさん駐留していました。そのため、米軍基地やその周辺で働く日本女性たちにとって、アメリカ軍兵士との出会いは決してめずらしいものではなかったのです。駐留アメリカ軍兵士と恋に落ちて結婚し、海を渡ったのが「戦争花嫁」(ハワイでは「軍人花嫁」)と呼ばれる女性たち。戦後、1950年代末までに「戦争花嫁」として海を渡った日本女性の数は、3〜4万人に達するといわれています。

戦争花嫁の多くは、戦後の混乱期に家族を養うために米軍基地で仕事を得た高学歴の女性たちだったんですって!でも、国際結婚がまだめずらしかった当時、戦争花嫁は好奇の目で見られたり、敵国人との結婚ということで偏見を受けることもあったのよ
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花嫁移民のための学校?!

 戦後、花嫁として未知なる国へ旅立つ女性たちのために、海外での心構えや生活様式などを伝授するための教育施設があったことをご存知ですか?
アメリカへ渡る「戦争花嫁」たちを対象に、アメリカ赤十字社が設立したのが「花嫁学校」。1951年、東京・六本木の米軍キャンプ内に1校目を開設したのを皮切りに、日本各地に100校以上が開設され、1957年までに4,000人が受講しました。カリキュラムには、アメリカ女性の最新ファッションや化粧法、アメリカ家庭料理実習などがあり、米軍の将校婦人や赤十字職員などがボランティア講師として指導にあたりました。
いっぽう、南米移住を希望する女性たちに花嫁教育を行う施設として、1954年に福島県出身の小南ミヨ子さんが私財を投じて開設したのが、「海外移住婦人ホーム」(後の「国際女子研修センター」)。45日間の寮生活で語学や海外事情、料理、育児などを指導し、1980年までの25年間に300人を超える女性が花嫁移民として旅立ちました。

花嫁学校で米軍将校婦人ら ボランティア講師の講義を受ける受講生
海外移住婦人ホーム創設者の小南ミヨ子さんを囲む受講生

花嫁学校で米軍将校婦人ら
ボランティア講師の講義を受ける受講生

海外移住婦人ホーム 創設者の小南ミヨ子さん
(前列右から2人目)を囲む受講生

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それぞれの花嫁物語


 学術研究プロジェクトでは、たくさんの花嫁移民が自らの半生を振り返るインタビューに応じてくれました。展示で紹介している証言映像のなかから、一部を抜粋してご紹介します。


シゲタケ・テルコさん
(ワシントン州在住)
シゲタケ・テルコさん昭和3年生まれ、奄美大島出身のシゲタケさんは、米軍関係のオフィスでタイピストとして働いていた23歳のときに、米軍兵士だった現在の夫と出会い、1953年に結婚。56年にアメリカへ渡りました。米軍兵士との結婚に対する偏見を感じることもあったけれど、大好きな夫との結婚を後悔したことは一度もないと言います。
「(軍人との結婚に対して)普通の人の印象は、あまりよくなかったでしょうね。親戚でも、反対した人、多分いたと思うんですよね。『外人と結婚して』とかね、良い風に見る傾向ではなかったです。でも父は、『お父さんが許すんだから良い』って言ってくれました。最初、気にしていましたけど、「案ずるよりも産むが易し」って感じでね。 (中略)結婚して今年で54年。アメリカ人と結婚したいとか、しようとかいうんじゃなくて、この人が良い人だったってことなんですよね。他の人と結婚したら、どうなってただろうと・・・。この人と結婚してよかったという気持ちしかないですね」

 

あしかわ
芦川道子さん
(ブラジル在住)
芦川道子さん昭和10年生まれ、静岡県出身の芦川さんは、同じ村からブラジルへ移住した現在の夫のもとへ嫁ぐため、1959年に花嫁移民としてブラジルへ。契約移民から独立して、夫婦二人三脚のトマト栽培で成功。2006年に夫を病気で亡くし、現在は孫たちに囲まれて生活しています。
「同郷なんです、主人とは。だから結婚の約束はできてたっていうか、『落ち着いたら呼ぶから来てくれ』って。ブラジルのことなんて全然わからないから両親は反対だったけど・・・行ったらいけないとは言いませんでした。 独立する前、夜は12時前に寝たことがない。朝は4時起き。生まれたばかりの長女を背中にしょって仕事したり、トマトを収穫するときの竹かごの中に入れて、日陰が移るたびに持って歩いたり。若いからできたんです」

海外移住って男のロマンのようなイメージがあったけれど、家族を作り、子孫を残して移民社会を発展させるために、花嫁さんはなくてはならない存在だわ。海外の日系社会は、花嫁移民の女性たちによって支えられ発展してきたのね!
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花嫁移民たちへのアンケート

 北米、ハワイ、そしてブラジルでそれぞれ実施したアンケート調査の結果からは、花嫁移民たちの背景や、果たした役割などを垣間見ることができます。アンケート結果の一部をご紹介しましょう。

花嫁移民たちへのアンケート

現代の花嫁たち

 「花嫁移民」という言葉は過去のものかもしれません。でも、グローバル化で世界がぐんと近くなった現代、異文化と向き合い、試行錯誤を繰り返しながらしなやかにたくましく生きる現代の花嫁たちが、世界各地で活躍しています。

成人した2人の息子とそのガールフレンド、親戚、 友人に囲まれて銀婚式のお祝い(中央が中村さん)

成人した2人の息子とそのガールフレンド、親戚、 友人に囲まれて銀婚式のお祝い(中央が中村さん)

オランダ・中村悦子さん
「オランダに嫁いで25年。気の強い女性が多いオランダ社会のなかで、自分の意思をどれほど的確に表すことができるかということに苦労しますが、大陸的なつながりのある欧州では、互いの文化や習慣を認め合い尊重しながら生活ができます」

毎週土曜日に日本語を教えて いる補習校の子どもたちと

毎週土曜日に日本語を教えて いる補習校の子どもたちと

オーストラリア・オークス直美さん
「オーストラリア人の夫と結婚、シドニーに移住して8年になります。日本とオーストラリアでは子育てについて異なる点が多く、お姑さんとの意見の相違が大変でしたが、今では互いの文化を比較して、よいと思える部分を取り入れていく余裕が出てきました。どこにいても一番大切なのは、自分のアイデンティティをしっかり持つことだと思います。」

 

 
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