海外移住資料館
新着情報
概要
常設展示
企画展・催し物
学習プログラム
利用案内・交通案内
図書資料室(海外移住)
ボランティア活動
海外移住資料館だより
移住資料ネットワーク化プロジェクト
キッズコーナー

情報検索システム
キッズコーナー貸出教材 いみんトランク 貸出についてはこちら
企画展『海を渡った花嫁物語』特別サイト 特別展示 移民の暮らし
特別展示 ハワイに生きる日系人

独立行政法人 国際協力機構 JICA横浜


 

HOME > 海外移住資料館だより > 第15号 巻頭インタビュー

第15号(2009年Spring)巻頭インタビュー アルベルト・シロマさん

 「ペルー代表のアルベルト」でいたい
〜受け入れてくれた日本に感謝〜

 演歌歌手になることを目標に、19歳でペルーから日本にやってきたアルベルトさん。挫折を経験しながらも、後にロックバンド「ディアマンテス」を結成し、底抜けに明るいラテンのリズムと圧倒的な声量、歌詞に込められた力強いメッセージで、たくさんの人々に元気と勇気を与えています。
祖父母の故郷である沖縄を拠点に、全国各地でライブ活動を展開しているアルベルトさんに、ご自身のこと、祖父母の思いでなどについて伺いました。 

なんてありがたい運命を「いただいた」んだろう・・・

 僕が生まれ育ったのは、南米大陸のペルー。大陸にいるのと、島国にいるのではやっぱり空間に対する感覚が違います。子どものころから、日系人が開催する「のど自慢大会」に出るためにブラジルまで遠征したり、日系人で作った劇団の公演でリマからチリ、アタカマ砂漠を渡ってアルゼンチンのブエノスアイレスまでバス旅行したり。素朴な生活のなかにあるスケールの大きさっていうのがペルーにはあった気がします。そう考えると、僕はおじいちゃんから最高のプレゼントをもらった、ペルーというすばらしい故郷をもらったんだなって思います。
一方、日本は、戦争であれだけの被害を受けて、本当にゼロからはい上がった国、奇跡を遂げた国。僕からみると、こんなに小さな、狭い国土で、それはもう驚くべきことです。
僕にとって日系人であるということは、ものすごい強み。日本の血を受け継いだ僕たちは、なんてありがたい運命をいただいたんだろうって思います。決して「背負わされた」のではなくて「いただいた」んだなぁと。

挫折、そして沖縄へ

最初は、演歌歌手になりたくて東京に来たんです。大変なこともありましたよ。若かったし、日本語もわからなかったし、理解できないことがたくさんあって。演歌歌手になるという夢も、うまく行かなかった。それで、祖父母の故郷、沖縄に渡ったんです。
いまでこそ沖縄は音楽や文化をたくさん発信して注目を集めているけれど、22年前、当時はまだ全然違っていました。少しずつリゾート開発がされていたけれど、いまよりもずっとシンプルに人々が生きていた。その時代の沖縄で、目まぐるしい東京の生活から切り離された別の日本を知りました。
沖縄は、南米と日本との中間みたいなところがあって、沖縄にいると、物事をすごくシンプルに、わかりやすく見ることができた。僕にとって沖縄は、すごくニュートラルな場所。戦争の爪痕も米軍もあって、歴史的に複雑な場所ではあるけれど、目の前に世界があるという感覚が沖縄にはある気がします。

このページの先頭へ

沖縄で知った祖父のストーリー

  沖縄で暮らすようになって、はじめて祖父のストーリーを知りました。母方の祖父は、移民というよりはむしろ追放に近いような形で沖縄を出たんです。教師だった彼は、社会研究クラブという教師の集まりで所長をしていた。沖縄の歴史や文化を守るための活動で、いまなら誰からも文句を言われるようなことではないけれど、思想が制限されていた時代、そこに集まっていた教師たちに逮捕状が出ました。責任者だった祖父は教員免許を抹消された。どんなルートでペルーに渡ったのかはわからないけれど、彼は責任を背負わされて沖縄を出たんです。そのせいか、祖父は、沖縄や日本についての話はほとんどしませんでした。辛い思い出だったから話したくなかったのかもしれない。
ペルーに来てからも、辛い時代は続きました。戦時中、ペルーとアメリカが同盟国になると、日系人のリーダーたちはペルー政府からマークされました。教師だった祖父もその一人。母を含めた子どもたち7人を連れて身を隠して生活し、収容所送りを逃れましたが、たくさんの人がペルーからアメリカに送られて、強制収容所に入れられました。
人生にはいろんなストーリーがありますよね。それがあったから僕がペルーで生まれているんですけれど・・・。なんだか不思議です。

生きていればどうにかなる!

 祖父母の家には、三線(沖縄の三味線)が宝物みたいに高い場所に飾ってあった。触ったら怒られるから、触れなかったですよ。子どもながらに、「あれは何か神聖なものなんだろうな」なんて思っていましたもん。沖縄の移住者にとって、三線はそれだけ大切なものだったんです。
音楽は、沖縄の宝です。悲惨な歴史を歩んできたけれど、いつだって音楽が人々に勇気や喜びを与えてきた。それってすごいことだと思います。僕は三線はあんまり上手じゃないけれど、ギター1本で日本に来た身として、三線を大事にしていた移住者の気持ちはすごくよくわかります。
この不況で、日本で働く大勢の日系人が仕事や住む場所を失っているけれど、僕たちはいま、ここで何を求めて、何をしようとしているのか、自分がどこから来て、どこへ向かっているのかというのをもう一度考える時なのかもしれないと思います。
日系人であるのなら、自分たちの祖先がいまよりもっと何もない時代に、何もわからない状況で外に出て行ったんだということを思い出すべき。飛行機なんかない時代に、もっともっと過酷な状況で、強く生きてきたのが僕たちの祖先です。「生きていればどうにかなる」。こんなときだからこそ、そう言いたいですね。

「ペルー代表のアルベルト」でいたい

僕の国籍はいまもペルーのまま。実は、これまでに2回ほど帰化の手続きをしようとしたことがありました。何度か裁判所に通ったし、そのための書類を集めたりもしたけど、途中で「やっぱり今じゃないな」って思ったりして。色んな理由があったわけだけど、いまは、ペルー人のままでいたほうがいいんじゃないかなって思っています。僕みたいなペルー人が日本にいて、こうしてやっていけるんだってことを知ってもらえたら、それだけで嬉しい。「ペルー人のアルベルト」を受け入れてくれた日本には感謝しています。
国というのは僕にとってすごく大事なこと。国って、自分のシンボルですよ。国のために生きるということは大切なことだし誇りにするべきじゃないのかな。そのために戦争が起こったりもするし、いろんな壁があるのは確かだけれど、国があってその中に自分がいて、はじめてそこから世界との関わりが始まるんだと思っています。
繋がっている日本のためにも、「ペルー代表のアルベルト」としての意識を持ち続けていたい。大人になる一歩手前にペルーを出てしまって、ペルー人の大人としての常識的な部分が自分にどこまで備わっているのかな、と思うときもあります。でも、少なくとも僕にはペルーで学んだギターがあって、歌がある。そのおかげでペルーという国を大切にしてくることができたと思うし、それによって日本でもいろんな扉が開けたんだと思っています。

アルベルト・シロマ
 歌手・ディアマンテス ボーカリスト

  歌手。1966年ペルー生まれ。沖縄県出身の祖父母を持つ日系3世。
19歳のとき、「日系人協会主催・全北中南米歌謡コンクール」で優勝したことがきっかけで、演歌歌手を目指して来日。その後、沖縄でロックバンド「ディアマンテス」を結成。在日外国人労働者へ向けた応援歌『ガンバッテヤンド』でデビュー。『勝利のうた』はサッカー・ワールドカップ・フランス大会の日本代表選手への応援歌となり親しまれている。現在までに11枚のアルバムをリリースしたほか、TVやラジオ、映画にも多数出演。2000年からソロとしても活動し、これまでに6枚のアルバムを発表。ディアマンテスとして、ソロとして、全国各地で精力的にライブ活動を展開している。

 

 
このページの先頭へ
JICA ロゴ
海外移住資料館ホームページHOME