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第10号(2007年12月)巻頭インタビュー マルシアさん
マルシアさん

100年の歴史、その一部を生きている
〜夢と努力と感謝を忘れずに〜

歌手として、女優として、 タレントとして、母として・・・。
マルチな才能で活躍するマルシアさんは、 ブラジル出身の日系3世。
ブラジル日本人移住100周年となる 2008年は、マルシアさんの芸能活動 20周年にもあたります。
生まれ育った祖国ブラジルのこと、 日本での生活のこと、子どもへの思いなど、 飾り気のないマルシアさん自身の言葉で 話してくれました。

歌との出会いが日本への入り口

 17歳で日本に来るまでは、サンパウロ州のモジ・ダス・クルーゼスという町で育ちました。父方の家族は静岡県、母方の家族は高知県の出身で、私は日系3世にあたります。
 私たち日系人は、思春期の一時、自分のアイデンティティがどこにあるのかということを悩む時期があるんです。そのせいで当時の私は、「自分はブラジル人だ」っていう意識が強く、日系社会とはほとんど関わらずに生活していました。そんな私を祖父はとても心配していて、なんとか日本と繋がっていてほしいと思ってくれていたんです。それであるとき、青年会のカラオケ大会の話を持ってきてくれました。曲も祖父があみんの『待つわ』を選んでくれて、これを歌いなさいって(笑)。なんとなく歌を覚えて出てみたら優勝してしまって、そうなると人間って気持ちよくなってしまうもので、それからは頻繁にいろんなカラオケ大会にエントリーして歌うようになりました。歌を入り口にして、再び日本との繋がりができていったんです。

マルシアさん

  とはいえ、日本に行くとかプロになるとか、そんな考えはまったくありませんでした。毎月ブラジルで日本の雑誌『平凡』や『明星』を買って読んだり、日本の音楽テープを聴いたりして憧れてはいましたが、日本は遠いし、考えてもみなかった夢でした。
 そんななか、出場した大会のひとつで日本行きのチケットを手に入れ、作曲家の猪俣公章先生の目にとまってスカウトされたんです。父親からは猛反対を受けましたが、まだ若かった私は、このチャンスに賭けてみたいと強く思いました。やってみて挫折するのは私の自由だけれど、やらないで後悔するのは嫌。これはいまでも私のモットーで、壁にぶつかって嫌になることもたくさんあるでしょうけれど、そうやって生きていた方が後悔が少ないんじゃないかなって思っています。

祖父と日本語で語り合ってみたかった

 日系とはいえ、ブラジルでは日本語をほとんど使わずに生活していたので、カラオケ大会に出ていた頃も、日本に来てからも、実は日本語はほとんどわかりませんでした。『待つわ』の歌詞も、庭にある松の木をイメージして歌っていたくらいだし(笑)、デビュー曲『ふりむけばヨコハマ』も、単純に「後ろを振り向いたら横浜の街が見えるんだなぁ〜」程度にしか理解していませんでした。歌詞の深い意味が理解できるようになったのは、日本に来てだいぶ経ってからですね。
 日本に来てからも、ブラジルの祖父とはいつも手紙のやりとりをしていました。春にはサクラの花びら、秋にはもみじの葉っぱを紙に包んで送ってあげたりして…。祖父も私の身体のことをいつも心配してくれていました。
 もう亡くなった祖父母のことで一点だけ、すごく心残りなことがあります。当時の私は日本語がわからなかったので、祖父から日本のこと、祖父の生き方、どうしてブラジルに来たのかとか、そういう話をまったく聞かなかったんです。こうして日本語が話せるようになったいま、「おじいちゃんと話すことができたら・・・」と切に思います。もしもいま話ができたなら、たくさんのことを事細かに聞くことができたでしょう。一冊の本になるくらいの物語だったかもしれないと思うと、とても残念です。

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娘へ・・・

  日本に来て20年。日本語の難しさや日本の文化、上下関係の厳しさなどは、慣れるまでに時間がかかりました。日本語は特に、目上の人には敬語、友だち同士ではくだけた表現などがあるので、それに気をつけるだけでも大変!
 でも、日本でがんばると決めたからには、まずはきちんとした敬語を覚えようと思って必死で勉強しました。時代劇が大好きで、私の日本語は時代劇がテキストなんですよ(笑)。
 ブラジルへは、この20年で数えるほどしか帰っていません。その間にブラジルでもさまざまな変化があり、新しく生まれた命もあって、会ったことのない親戚がだいぶ増えました。日本に来たばかりのころは、いつかブラジルに帰るという気持ちがありましたが、今は生活の基本が日本にあって、日本で生まれた娘のためにも、日本でしっかり生きていくんだという意識が強くなりましたね。
 娘には、シンプルに生きてほしい。親や周りがどうであろうが関係ないし、自分の力で歩んでいくことのできる道を選んで欲しいと思っています。
 仕事以外の私は、本当に飾り気のない普通の人間なので、娘の授業参観日や運動会、バレエの発表会なんかには母親として普通に出席します。同級生の子どもたちが私を見て「あ、マルシアだ!」なんて言うと、「マルシアさん、でしょ!」なんて注意したりね(笑)。私はこの仕事を特別だとは思っていないんです。ほかのどんな職業とも一緒。感謝の気持ち、努力、夢を持つこと、そういうことって何をしていても一緒ですよね。
 娘とは、友だちではないけれど、いろんなことが話せるような親子の関係を作っていきたいと思っています。私は離婚していますけれど、よく娘と一緒に父親とも会います。子育ては私がひとりでやっているわけではなく、必ず父親の存在も必要。周りからは、不思議な関係の3人ってよくいわれますけどね(笑)。

マルシアさん

次の100年へ受け継いでいく

 100年の歴史ってすごいですよね。私は日系3世ですけれど、100年前に移民としてブラジルに渡った私たちの先祖が作り上げてくれたものがあったからこそ、いま私たちがこうして平和に生きていられる。  ブラジルだけでなく、移民が渡ったそれぞれの国で、できれば日本というものを失わずに受け継いでいってほしいと思います。混血が進むことは当然ですが、それでも日本という「ルーツ」を忘れないでほしいな。  目標は次の世紀、200年ですね。こうして100周年をお祝いできること、そんな時代に私も生きているんだということに感謝します。日系社会のために何か私にできることがあるのなら、ぜひやらせていただきたいと思っています。  これから40代に突入しますけれど、まだまだいろんなものを見て、学んで、芸を磨いていきたい。そうするなかでいろんなモノ、たくさんの人と出会いたいです。日本語ももっと上達したい。最近は舞台やバラエティのお仕事が多くなっていましたけれど、40代は歌手としてのマルシアを復活させたいと思っています。

ミュージカルコメディ「妊娠させて!!」
マルシア
  歌手・女優・タレント 

1969年生まれ。ブラジル出身の日系3世。 TX外国人歌謡大賞ワールドチャンピオン大会にて作曲家猪俣公章氏の目にとまりスカウトされる。1989年に『ふりむけばヨコハマ』でデビュー。
その後、テレビや舞台でもマルチな才能を発揮。近年は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』や『ジキル&ハイド』などに出演し、高い歌唱力が評価され実力派女優として活躍中。2008年2月には、ミュージカルコメディ『妊娠させて!!』(東京芸術劇場中ホール)で主演決定。

 
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