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第9号(2007年9月)巻頭インタビュー 渡辺貞夫さん
渡辺貞夫さん

サンバのリズムを 子どもたちに
〜身体も心も、全開にして〜

世界が認めるサックス・プレイヤーとして日本のジャズ界をリードしてきただけでなく、数々の海外公演を行うなど、世界を舞台に活躍する「ナベサダ」こと渡辺貞夫さん。ブラジル音楽に深く魅せられ、ボサノバを日本に広めた渡辺さんが初めてブラジルを訪れたのは1968年のこと。 以来変わることなく渡辺さんを魅了し続けるブラジルの魅力とは? そして、音楽を通じて子どもたちに伝えたいこととは・・・。

ブラジル音楽との出会い


1968年、サンパウロのクラブで
1968年、サンパウロのクラブで

 ブラジルとのはじめての出会いは、おそらく映画『黒いオルオフェ』。流れていた音楽に圧倒されました。その後、1965年にゲイリー・マックファーランドの『ソフト・サンバ』というアルバムがヒットして、彼のアメリカツアーに僕も参加することになったんです。ツアー中、サンフランシスコのクラブで演奏しているときに、たまたま向かいのクラブでやっていたのがセルジオ・メンデスのバンドで、休憩時間にお互いの演奏を聞き合ったり、楽屋を行き来したりして仲良くなりました。ちょうどアントニオ・カルロス・ジョビンのアルバムがアメリカでヒットし始めたころで、僕もボサノバやサンバといったブラジル音楽に強く惹かれはじめていた時期でした。
 そんなころ、68年に当時サンパウロでクラブをやっていた小野リサさんのお父さんが、ブラジルに誘ってくれたんです。NYから日本に帰るついでにサンパウロに寄っていきなよって。2〜3週間の滞在中、毎晩クラブで演奏して、クラブが終わると現地のミュージシャンたちと一緒に朝までセッションしました。そのときの体験を通じて、すっかりブラジルに惹かれてしまいました。

カーニバルの興奮を日本にも!

 その後、テレビ番組でリオのカーニバルをレポートする機会があったんだけど、大観衆の熱気に圧倒されましたね。それで、これを何とか日本でもできないだろうかという思いが募っていったんです。そんなとき、サルバドールでオルドゥンという発足したばかりの打楽器グループに出会いました。シンプルだけどリズミックでダイナミックな演奏をするグループで、「アフリカ回帰」をテーマにしてサンバのエスコーラ(チーム)を作っていた。
  サンバというとリズム隊はパンデイロ(タンバリン)とかアゴゴ(カウベル)とか、すごく演奏が難しいんです。でもオルドゥンはスルド(大太鼓)とヘビニキ(中太鼓)とカイシャ(スネアドラム)だけ。これなら日本の子どもたちと何かできそうだなって思ったんです。
  ずっと募らせていた思いが実現したのは95年のこと。栃木県で国民文化祭というのがあって、そこで日本の子どもたちとブラジルの打楽器を使った演奏をしようと、1年がかりで地元の中学校に通って練習したんです。ブラジルからもオルドゥンのジュニアメンバーを日本に呼んで、3カ月間一緒に練習を積みました。
  はじめての体験で大変なこともあったけれど、結果としてすばらしい感動を得た。これは1度きりでは終わらせたくないと思って、それが現在まで続いているんです。
  2005年の愛知万博で僕がプロデュースした、世界5カ国の子どもたちとの競演「リズムワールド」にも出演して大成功を収め、今年3月にはインドネシアで開催されたジャズフェスティバルにも招待されて、一緒にリズムセッションをやってきました。これらの経験を通じて、言葉は通じなくても音楽で感動を共有することの素晴らしさを、参加した誰もが感じてくれたと思います。

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「なんだこれは!」を大切にしたい


愛知万博で世界5カ国の子どもたちと共演
愛知万博で世界5カ国の子どもたちと共演

  日本では、小さな子どもがすごく高級な楽器を持って練習したりしている。だけれど、日本の音楽教育はメロディ優先でリズムをおろそかにしている面があるように思います。プロの世界でもそうだけど、日本人はどうしてもリズムが弱い。リズムっていうのは音楽の土台です。だから、そこがしっかりしないと、いくらメロディがよくても音楽として軽く、手応えのないものになってしまうんです。  リズム感、グルーヴ感っていうのは、民族や血筋よりも「環境」が強く影響すると考えます。その土地の風土、生活が音楽の表現スタイルに現れるんですよ。たとえばサルバドールの街では、ドラムの音が日常的に聞こえてくる。それに対して文句を言う人なんて誰もいません。でも日本だと練習場所を探すのにすら苦労するでしょ。それに、ブラジルでもアフリカでもそうですけれど、まずしゃべる声からして彼らは大きい(笑)。日本のような曖昧な表現がなくて、とてもストレートな言葉でコミュニケーションしますよね。「好き」「嫌い」「いい」「悪い」・・・なんでも。厳しい条件のなかで生きるためには、自分の思いを明確に伝えなければならないわけですからね。  そういうことって演奏にも必ず現れてくるんです。自分の感情をストレートに表現できるかどうか、その差というのはとても大きいと思いますね。  初めてアフリカに行ってラジオに出演したときに、それはもう、ひどいテナーサックスの演奏をする人がいたんですよ(笑)。音は汚いし、やってることもメチャクチャ、馬のいななきみたいなプレイをするんです。でも、その人の顔を見ると、すごく嬉しそうに演奏している。それを見て、「まいったな」と思いましたね。すごく大きなレッスンをしてもらった気になりました。「なんだこれは!」という思いですよ。そんな気分になれる瞬間が、日本の教育の中では忘れられている気がします。

自分をしっかり持ってさえいれば

 僕が初めてアメリカに行ったときには、日系2世とのつきあいがけっこうありました。マイノリティとして、アメリカ社会のなかで一歩下がったような生き方をしている人も中にはいました。いまはもうそういう時代ではなくなりましたけれど、敗戦国としての日本がまだ色濃く残っていた当時は、深いところでコンプレックスを抱えながら生きてきた日系人が少なくなかったのではないかと思います。
  僕自身も、ジャズに憧れてアメリカに渡った日本人として、アメリカのミュージシャンたちに対するコンプレックスを抱えていた時代がありました。ただ、幸せなことに僕はミュージシャンですから、肌の色、国籍に関係なく実力で勝負してくることができた。白人社会でも黒人社会でも、音楽の実力さえあれば歓迎されたんです。そんな経験から僕は、自分をしっかり持ってさえいれば、どこへ行ってもきちんと評価をされるのだと思うようになりました。

ブラジルに子どもたちを連れて行きたい

 旅が大好きですが、世界中にはまだまだ行っていない国がいっぱいあります。中南米はブラジルとメキシコしかしらないし、アフリカだってまだ半分くらいの国には行ったことがない。
  僕が惹かれるのは、貧しい国、恵まれていない国の子どもたちの持つ明るさや大らかさ、目の輝きです。ブラジルに行けば必ずファべーラと呼ばれる貧民街に足を運んで、そこで暮らす人々と交流します。その土地に行ったら、その中の奥深いところまで入らなければ何も見えてこないんですよね。旅をするには条件的に厳しいところかもしれないけれど、でも、だからこそより深い思いが残るし、感動的な交流が生まれるんじゃないかな。
  ブラジルでレコーディング・・・、ぜひまたやりたいですね。ブラジルに合う曲だったら、いますぐにでもレコーディングできる新曲がいくつもありますよ。来年6月はブラジルの日本人移住100周年で、関連イベントの出演依頼も来ているんです。まだきちんと決まっていないのでわかりませんが、決まればぜひ日本の子どもたちを連れて行きたい。実現すればおもしろいことになりそうです。
  また、来年の7月には、スペインのサラゴサ国際博覧会に宇都宮の太鼓チームを連れて行き、ジャパン・ウィークで世界の子どもたちと共演(シェア・ザ・ワールド)する予定です。

渡辺貞夫さん
渡辺貞夫(わたなべ・さだお)
 ジャズ・ミュージシャン 

  1933年、栃木県生まれ。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。日本を代表するトップミュージシャンとして、ジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。
写真家としての才能も認められ、これまでに6冊の写真集を出版。2005年、愛知万博では世界5カ国の子どもたちが競演した「リズムワールド」の総合監督を務め大成功を収めた。音楽を通して世界平和のメッセージを提唱する子どもたちとの活動はライフワークとなっている。

 
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