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第8号(2007年7月)巻頭インタビュー サンディーさん
Sandiiさん

I am a PACIFICAN
私が属するのは、
私がこれまでに転々としてきた場所すべて

80年代に日本の女性ヴォーカリストの先駆者としてロック界で活躍、世界のヒットチャートを賑わせ、現在はハワイ伝統文化の継承者「クム・フラ(フラの修行を積んだハワイ最高峰の資格を持つフラマスター)」として東京と横浜でフラ教室を主宰しながら音楽活動を続けるサンディーさん。東京で生まれ、ハワイで育った彼女は、多様な民族的バックグラウンドを持つ自身のことを「PACIFICAN(太平洋に属する人間)」と表現します。
 人種や国籍、国境の壁など存在しないかのごとく自由で、アロハ・スピリットに満ちあふれたサンディーさんの言葉の端々には、多感な青春時代を過ごしたハワイで知り合った日系の人たちに対する、尊敬と愛、そして感謝の気持ちがあふれています。

無国籍でいいや!

 よく、「なに人ですか?」とか「国籍は?」って聞かれるんだけれど、私は自分のことを「パシフィカン」だと思っているんです。父親側のバックグラウンドは多様すぎてよくわからないから、血筋としてはっきりと「なに人」って断定できないんですよ。だから、なんて答えていいのかわからないんです。日本で生まれてハワイで育って、ヨーロピアンでもアメリカ人でも南米人でもアフリカ人でもない。パシフィック・オーシャン(太平洋)にものすごく関わって生まれた人間だということだけはすごく感じています。
  音楽のおかげで世界中さまざまな国を旅してきたけれど、どこの国に行っても最初に質問されることが 「what nationality are you?」 なんですよね。ということは、私はどこに行ってもどこの国の人にも見えないのかな・・・って、あるとき鏡を見て思ったんです。だったら私、無国籍でいいやって(笑)。
  私が属するのは、私がこれまでに転々としてきた場所すべて。それが今の私を作っていると思ったら、国籍とか人種とか、そういうことは七面倒くさいしどうでもいい。自分のふるさとを地図で探すと、真ん中に日本があって、ハワイがあって、いまものすごく心惹かれているタヒチがあって・・・。いつも太平洋が中心なんです。だから、私にとって一番しっくりくるのが、「I am a pacifican」。「パシフィック」という言葉には「究極の平和」という意味があるんですよ。

ハワイの日系人から教わったこと


Sandiiさん
資料館からもほど近いサンディーズフラスタジオ横浜校(BankART Studio NYK)にて

 10代と20代の大半をハワイで過ごしましたが、ハワイで暮らしていると、私の知っている日本人よりもずっと日本人らしい人たちに出会います。日本をとても愛おしく、誇りに思っている人たち、日本の奥ゆかしさを守りぬこうという人たちがハワイにはたくさんいるんです。
  海を越えて旅した移住者たちは、船旅の大変さや厳しさ、波の上で抱いた希望や不安、切なさといったいろんな思いを、祖国への深い愛情に変えていったと思うんです。移住者や日系の方たちとふれあうと、そんな彼らの強い優しさを感じずにいられません。
  ハワイ語を勉強していると、英語には訳せないけれど日本語にだったら訳せる言葉をたくさん見つけます。「海」のことをハワイ語では「カイ」っていうんだけれど、こういうことも、偶然ではなくて日本とハワイがつながっていると思えてならない。ハワイではいなり寿司のことをその形がアイスクリームのコーンに似ていることから「コーンすし」って呼ぶし、「チキン・スキン」はハワイでしか使わない言い回しで、「鳥肌」がそのまま英語になっている。移住者が日本から持って行った訪問着は、常夏のハワイでは着る機会なんかなかったけれど、それをアロハシャツにして着たという話もハワイでは有名です。ハワイには日系人が作った造語や文化がたくさんあるんです。
  日系人が作った文化は、移住者が日本から持ち運んだ陶器みたいに大切なものだと思うんです。だから、大切にずっと守っていきたい。実際に日系のご家庭ではいまでもご先祖様が日本からハワイに持ち込んだものを代々大切に保管しています。私も一度、ある日系の家族から古い急須を見せてもらったことがありますが、それはもう宝物のように大切にしているんですよ。すごくすてきなことだと思います。
  ふるさとを離れると、その美しさは拡大レンズで見えてくるものですが、常に祖国を深く意識して生活してきたハワイの日系の方々は、本当に強い優しさ、日本人らしさを持っています。

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ロック魂とアロハ・スピリット どちらも変わらないパッション


クムフラの称号を受けるための儀式
クムフラの称号を受けるための儀式

 80年代はロック歌手として世界中を飛び回って、帰る家も持たずにスーツケースだけで生活していました。スーツケースの中には、地球上のいろんな場所で得た宝物がいっぱい詰まっていて、それが私の体内におみやげとして残っています。以前の私だったら、深い感激を味わって、自分の中だけでは抱えきれなくなったとき、それが必ずCDとなって産み出されてきましたが、いまはフラを通じて、大切にしたいこと、私の宝物を生徒さんたちに伝えている。フラを教えることで、自分自身がどこへ向かって、何をしようとしているのか、そういうことを確認させてもらっている感じです。
  ロックもフラも、同じ人間の中から生まれるパッションであり、私の生き甲斐です。この二つは私の中ではまったくかけ離れていない。「ロック魂」って、弱い者を守るために戦うことだと思うんです。汚れた秩序は、時にはハンマーで叩き壊してばらばらにしなければならないけれど、それには強い優しさが必要で、ロックは私にとって、その強い優しさに目覚めるためのエネルギーなんです。
  音楽には、言葉や国境を越えて心を一つにする力があります。人間はみんな、ひとつになることが好きだと思う。だからこそロックは、強い優しさや愛を張り裂けるほどに叫ぶのだと思っています。

遅くない、まだ遅くない

 ハワイでお世話になった日系のママは、横浜から船で移住した人でした。今回、ハワイからホクレア号が日本まで航海しましたけれど、この航海は私にとって非常に深い意味をもっています。船のナビゲーターであるナイノア・トンプソン氏は、子どもの頃お世話になった日系の漁師から海のことを学んだといいます。「海のことを知りたければ自分自身が海に、風のことを知りたければ風になりなさい」という日系の漁師の教えは、日本人が本来もっているすばらしい感覚そのものだと思います。
  ホクレア号は、日本人移住者、日系人がハワイに伝え、残してくれたさまざまな贈り物に対する感謝の気持ちを込めて、移住者が旅立った日本各地の港に寄港しました。この歴史的瞬間を私は、新しい時代の始まりだと感じています。
  昔の移民のことを知っている人たちはだんだんいなくなるけれど、彼らが残してくれた言葉や知恵は大切に伝えられていくべきだと思います。たとえば、きゅうりを調理するときは色の濃い方の端っこをちょっとだけ切り落として渋みを取ることとか、私はハワイの日系のおばあちゃんから教わったんです。そういう知恵って日本人ならみんな知っているものとばかり思っていたけれど、意外といまの若い子たちは知らないんですよね。日本は経済発展とともに大家族がなくなってしまったから、そういうことを教えてもらう機会も少なくなってしまったのでしょうが、まだいくらでも教わるチャンスはあると思います。遅くない。
  ハワイ語でさえ、長い間使用を禁止されていて、もう誰も話せる人がいなくなってしまったと思われていたけれど、残っていたお年寄りの話を録音し、記録する人が出てきたおかげで、ハワイの神話は生き残ったんです。だから、日本もいまならまだ遅くない。そう信じています。

『VIVA LAVA LIVA』
サンディー&サンセッツ時代のアルバム『VIVA LAVA LIVA』
昨年復刻版がリリースされた
Sandii(サンディー)
 シンガー/クムフラ(サンディーズ・フラスタジオ主宰) 

  東京生まれ、ハワイ育ち。1974年より日本で音楽活動を開始し、1980年には細野晴臣プロデュースのアルバムを日英で発表。その後も「サンディー&サンセッツ」として活動し、数々の作品をリリースするほか、イギリスやオーストラリアをツアー。シングル『Sticky Music』はオーストラリアのヒットチャート3位を記録した。
 現在は東京と横浜でフラの教室「Sandii’s Hula Studio」を主宰、門下生は500人を超える。2005年には、フラの正統的継承者として、「クム・フラ」の称号を授かり、音楽活動と共に、フラとハワイの伝統文化を伝える。

 
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