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第7号(2007年3月)資料探検隊 Vol.7
モルフィーちゃん
南米に住む青い蝶の妖精、モルフィーちゃん。 海外移住資料館のあれこれを、みなさんと一緒にお勉強します。 どうぞよろしくね!!

移住地にシネマがやってくる!
  〜開拓生活の娯楽にみる移住者の暮らし〜

シネマ屋一行
1936年、バストスを巡回するシネマ屋一行
(資料提供:細川周平さん)

南米ブラジルー遠い異国の地で開拓生活を送る日本人移住者たちが、日々の生活のなかで何よりも楽しみにしていた娯楽、それは「シネマ屋さん」と呼ばれる男たちが映写機と発電機をトラックに積んで旅回りの巡業にやってくる「巡回シネマ」の上映会でした。
 戦前、娯楽と呼ばれるものが極端に少なかった時代、映写機が映し出す日本の映像に、移住者の誰もが心を躍らせ酔いしれました・・・。
 今回は、開拓時代に移住者たちの心を癒し続けてきた古い映写機を中心に、移住者とシネマの物語を紐解いてみましょう。

参考資料『シネマ屋、ブラジルを行く』(細川周平著・新潮選書)

映写機
資料館に展示されているこの古い映写機は、ブラジルのパラナ州クリチーバにある日系団体の倉庫に眠っていたものなのよ。かつて、日系人会の集まりなどで大いに活躍したけれど、その後、長い間ひっそりと倉庫に放置されていたために、廃棄処分されずにそのままの形で発見されたんですって!
モルフィーちゃん
ブラジルの日系団体から寄贈された映写機(常設展示より)    

シネマの日はお祭り騒ぎ


シネマ屋一行
1930年代、車のエンジンを利用した発電機とシネマ屋一行
(資料提供:細川周平さん)

 日本から遠く離れた南米ブラジルの大地。入植した日本人移住者たちは、言葉も食生活も文化も気候も、何もかもが日本とは大きく異なる環境のなかで、いやおうなしに「日本」や「日本人」であることを意識させられながら生活してきました。
 そんな移住者たちにとって、ときおり移住地にやってくる巡回上映の日本映画は、日々の重労働からほんの一瞬解放され、日本人である自己を誰に遠慮することもなく堂々と確認することのできる絶好の機会であり、最大の楽しみのひとつだったといいます。スクリーンに映し出される日本の映像に、移住者たちはしばし現実を忘れ、日本の思い出に浸りました。移住者たちは、日本映画の中に「懐かしい母国」「日本人」の姿を求めていたのでしょう。
 シネマの日は、大人も子どもも朝から落ち着きません。移住地にとってシネマは、運動会や盆踊り大会などのお祭り行事と同じ一大イベント。朝から花火があがり、畑仕事を早々に切り上げた大人たちはお風呂に入り、女性は着飾ってお化粧をし、いそいそと上映会場へ出かけていったといいます。

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シネマ屋さんはヒーローだった

ブロマイド
弁士として活躍した小泉照夫さん(芸名:泉四郎)さんのブロマイド(資料館所蔵/資料提供:小泉照夫さん)

 当時はまだ、「活動写真」と呼ばれる無声映画の時代。旅回りの活動写真屋、いわゆる「シネマ屋さん」が一座を組んで、移住地を巡業していました。移住地での上映会は、主に野外や日本人会館などで行われます。電源のない野外で上映されるときは、トラックのタイヤを片方だけ浮かせて回転させ、ゴムのベルトを発電機につないで電源を確保したといいます。白い布を張った手作りのスクリーンに、映写機から映し出される日本の映像。「ドッドッドッド・・・」とトラックのエンジン音が会場に響き渡り、弁士が名調子で解説を語り始めると、観客の気持ちはいやがおうでも盛り上がりました。エンジンの調子が悪いときは画面もガタガタ、フィルムが切れて映画が中断されることもよくありましたが、それでも文句を言う人など誰一人としていなかったといいます。 トーキー映画が登場してからも、観客たちは弁士による解説のほうを好みました。観客からのリクエストに応じて解説を始めたものの、ストーリーを覚えていないため、とっさのアドリブでなんとかその場を乗り切ったなんていう話も、弁士たちの武勇伝にはめずらしくありません。

 シネマ屋一座のなかでも、特に弁士たちは人々の憧れの的だったのよ。訪れる先々で移住地をあげての熱烈な歓迎を受け、サイン入りのブロマイドを持ち歩く人もいたほど、さながらスターといった存在だったんですって!
モルフィーちゃん

映画館からビデオの時代へ

 その後、第2次世界大戦が始まると、日本人移住者たちにも辛い時代がやってきます。ブラジル政府は新たな日本人移住者の入国を全面的に禁止、日本映画の上映も禁止され、巡回シネマの時代は幕を閉じることになります。
  戦後、1953年にブラジル移住が再開されると、サンパウロのリベルダーデ地区に日本映画を専門とする映画館「シネ・ニテロイ」が誕生します。周辺には日系のみやげ物屋や雑貨屋、飲食店などが並ぶようになり、リベルダーデ地区は「日本人街」として発展していきました。その後、サンパウロには「シネ・トーキョー」「シネ・ニッポン」といった日系映画館が次々とできました。サンパウロで上映された日本映画は、地方の劇場などでも上映されるようになり、移住者たちは週末になるとこうした劇場のある町まで家族でトラックに乗ってでかけ、人と会ったり買い物をしたりするついでに映画を観るというような娯楽の形が定着します。移住者の暮らしも豊かになりつつあり、当時の子どもたちにとって、何より楽しみな週末のイベントだったことでしょう。トラックのエンジンによる発電も弁士の語りも、過去のものとなっていきました。
 さらに70年代になってテレビが普及すると、こうした劇場映画の時代も徐々に終わりを迎えます。サンパウロにあった日系の映画館も、取り壊されたり別の施設に生まれ変わったりして変貌を遂げました。いまでは移住者の家庭にもテレビやビデオが当然のように普及し、衛星放送で日本のテレビ番組が見られるようになっています。さらにインターネットの普及によって、移住者たちの暮らしや娯楽も大きく変化しました。
 かつて船で40日以上かかった遠い地は、いまやとても近い存在となりました。資料館に展示されている黒くて大きな映写機と古いブリキ缶のなかに納められた35ミリフィルムは、古きよき時代の移住者たちの暮らしぶりをいまに伝えているかのようです。

「シネ・ニテロイ」 シネ・ニテロイのチケット
サンパウロの日本人街の象徴でもあった「シネ・ニテロイ」外観
(資料提供:細川周平さん)
  シネ・ニテロイのチケット
(資料館所蔵/資料提供:小泉照夫さん)

モルフィーちゃん
映画好きなブラジルの一世たちの多くは、『フーテンの寅さん』ブラジル編が作られることを望んでいたんですって。寅さんをブラジルに呼ぶための署名運動や、台本の公募なども行われたけれど、結局実現しないままにシリーズが終わってしまったのは残念ね・・・
チケット
北米・シアトルにあった日本映画館「東洋シネマ」他のチケット、チラシ (すべて資料館所蔵)
北米の日系社会でも、日本映画は欠かせない存在だった
 
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