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HOME > 海外移住資料館だより > 第3号 資料探検隊 Vol.3

第3号(2006年3月)資料探検隊 Vol.3

武道と日系人 〜海を渡ったサムライ魂〜

道着
町田さんより寄贈された道着。
長年の使用ですっかり色落ちしてしまった黒帯だが、縫い糸にその面影を見ることができる

 資料館の一角に、スーツケースや柳行李(やなぎこおり:衣服や日用品を収納するための、柳と麻糸で編んだ箱)が積み上げられたコーナーがあります。ここには、移住者が海外に持ち込んだ携行品(けいこうひん)の数々が展示してありますが、今回ご紹介するのはそのうちのひとつ、空手の道着です。空手、剣道、柔道、合気道、柔術・・・いまや世界中で親しまれているこれらの武道。移住した日本人たちは、単なるスポーツとしてだけでなく、武道を通じて日本人が大切にしてきた道徳、礼儀・作法などの心も伝えてきました。
 展示してある道着は、ブラジル・アマゾン河口の街ベレンに空手道場を構え、現地ブラジル人から「メストレ・マチダ(町田先生)」と尊敬の念を込めて呼ばれている日本人移住者、町田嘉三さん(60)から寄贈されたもの。1着の道着を足がかりに、武道を海外に広めた日本人の足跡をたどってみましょう。

南米に住む青い蝶の妖精、モルフィーちゃん。海外移住資料館のあれこれを、みなさんと一緒にお勉強します。どうぞよろしくね!!

アマゾンのカリスマ空手家、「メストレ・マチダ」

 道着の寄贈者である町田嘉三さんは、茨城県出身の一世。大学在学中に、全国空手選手権で優勝するなど華々しい経歴の持ち主です。大学を卒業した1968年、アマゾン地域にある「トメアスー」という日本人移住地の測量技師として、移民船「あるぜんちな丸」に乗り込みました。
  もともと海外で自分を試してみたかったという町田さん。ブラジルに渡って1年後には、胸に秘めていた空手普及の夢を実現させるべく、移住地を飛び出します。ベレン、リオ、サンパウロで日本人が開いた道場の師範代として空手を教えながら食いつなぎ、その後、カポエイラ(ブラジルで黒人奴隷たちが始めた格闘技)発祥の地である東北部のバイアへ移り住みます。まだ空手が一般に知られていなかった時代、現地の人々を相手に日本流の指導法で空手を普及し、教え子の中からはブラジルや南米チャンピオン、世界大会出場レベルの選手を数多く生み出してきました。その後、ベレンに移り住んだ町田さんは、現在の「町田道場(パラー武道館)」を開き、カリスマ空手家として一時期には1200人もの弟子を抱えるブラジル1の道場を作り上げたのです。

道場で弟子たちを指導する町田さん 町田さんのインタビュー映像
道場で弟子たちを指導する町田さん(右端・証言映像より)   資料館の証言映像コーナーで流れる町田さんのインタビュー映像

資料館の証言映像コーナーでは、ブラジルに移住した町田さんが豪快な半生を語ったインタビュー映像を見ることができるのよ!!
モルフィーちゃん
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伝説の柔道家、コンデ・コマ

ベレン地図

 町田さんがベレンにやってくる半世紀ほど前、実はこの街にはもうひとり、伝説の日本人武道家の存在がありました。「コンデ・コマ(コマ伯爵)」の愛称で知られる今は亡き柔道家、前田光世です。1878年、青森県に生まれ、26歳のときに渡米。以来、イギリス、スペイン、メキシコなど、世界各地を柔道普及のために渡り歩いてきました。メキシコにたどり着いた1900年代の始めには既に多くの日本人が入植していましたが、コマの活躍によって柔道が流行すると日本人移民に対する世間の見方が変わり、堂々と胸を張って歩けるようになったという話もあるほど。コマは単なる柔道の伝道師ではなく、日本という国を背負った存在でもあったのでした。
 メキシコで日本人移住者たちに柔道を指導したコマは、その後、積極的に日本人の入植地を訪ね歩くようになります。チリ、ペルー、ボリビア、グアテマラ、ホンジュラス、エクアドルなど、日本人移住地の候補とされていた土地にも足を運び、最終的にブラジルのベレンにたどり着いたのでした。ベレンでブラジル人や日本人移住者たちに柔道を指導するかたわらで、コマは移住地の開拓にも身を捧げます。そして、親身になって移住者の世話をしながら、ベレンでその生涯を閉じたのです。

ブラジルで結婚した前田の家族写真 明治45(1900)年3月15日、キューバにて
ブラジルで結婚した前田の家族写真   明治45(1900)年3月15日、キューバにて。 後列中央に立っているのが前田
写真提供:講道館(左右とも)


生前、日本政府からの招待で日本に帰国できるチャンスがあったにもかかわらず、結局2度と日本の土を踏まずにその生涯を閉じたコマ。彼の名はいまでも伝説の柔術家として若い世代にまで受け継がれているのよ!
モルフィーちゃん
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世界に羽ばたく武道

ヒクソン・グレイシー
グレイシー柔術最強の男、ヒクソン・グレイシー (C)DSE

 コンデ・コマの名を再び世に知らしめたのは、最強の格闘技ともいわれる「グレイシー柔術」でした。「グレイシー柔術」とは、コマがブラジルに持ち込んだ「武術としての柔道」がもとになって生まれた「ブラジリアン柔術」の総本山。1913年のベレンで、コマはグレイシー柔術最強の男といわれるヒクソン・グレイシーの祖父、ガスタオン・グレイシーと出会います。武道を通じて息子たちの根性を鍛えなおしてほしいとの依頼で教え始めた柔術に夢中になった息子たちは、やがて自らが指導者として師匠コマの教えを広めていきました。そして末息子エリオの時代にグレイシー柔術として地位を確立し、ブラジル国内に多くの道場と生徒を増やしていったのです。
  日本を代表する文化として世界各地でブームを起こしているアニメやゲームと並んで、武道は多くの人々の関心を集め、そこから日本の心や文化、言葉に興味を持つ若者も少なくありません。いまや武道を愛好する人は世界各地に広がり、「karate」や「ju-jutsu」は世界共通語となっているのです。

ヒクソン・グレイシーは、自らのことを『サムライ』と呼び、有名になって最強の男と崇(あが)められても、とても謙虚で礼儀正しい姿勢を忘れないんですって。
 
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