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『ハルとナツ 届かなかった手紙』より…
  あるブラジル移民の物語から見る家族の絆
特別展示 『ハルとナツ 届かなかった手紙』についてはこちら

現実はもドラマよりもっとドラマチック−

(写真提供:NHK)

 ブラジル日系社会は、2008年に移民100周年を迎えます。ブラジル移民について大きく取り上げたドラマ『ハルとナツ』は、ブラジル日系社会でも大きな話題となりました。ドラマには800人を超える日系人のエキストラも参加しています。
 現実の移住者たちは、ドラマ以上の困難を乗り越えた末、「今はやっぱりブラジルがいい」との心境に達した人が少なくありません。ブラジルの大地に根をはった移住者たちが観たドラマの感想とは−。自らの体験と重ね合わせて、渡伯から入植、現在のブラジル生活までを振り返ってもらいました。 (取材協力:ニッケイ新聞)

平井博子さん

平井博子さん

 両親の体験がこのドラマそのまんまでびっくりしました。母は妹を残してブラジル に来て、3、4年で帰るつもりだったけど子どももできて、お金が残らなくて帰れんか ったんです。以前、日本にいる母の妹を訪れた時、姉さんは3、4年で帰るゆうてたの に捨てられた、と言ってました。だから私が訪問するのもあまりいい気はしんかった みたいね・・・。日本にいる日本人がこのドラマを見てどういう感想を持つかが気になり ます。
(65歳、バストス出身の2世サンパウロ市在住)

玉井須美子さん

玉井須美子さん

 このドラマはハルとナツが出会えるだけ幸せ。兄弟が会えずに亡くなる人も多いんですよ。生活が落ち着いてからは、両親を日本に帰してあげようとしたけど、みんな大きな夢持ってきているからね…。錦を飾って帰国するという誇りを持っていたから、帰りたがりませんでした。とうとう日本にいる兄弟に会わずになくなったよ。
(79歳、愛知県出身の一世。1933年渡伯、サンパウロ市在住)

内海博さん

内海博さん

 勝ち負け抗争があったけど、私は3年くらい様子を見てようやく負けたんだなと再 確認した。日本が勝ったと思わなければ生きていけない人もいたんです。
  このドラマが日本で放映されれば、日本人に移民について知ってもらういい機会に なると思う。でも移民は苦労したけど、それだけを前面に押し出すのは僕自身はあま り好きじゃない。もちろん苦労はしたけど、それは人生の一つの流れなんだから・・・
(82歳、東京都出身の1世。1933年渡伯、サンパウロ市在住)


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守谷保尾さん

守谷保尾さん

 敗戦の知らせを聞いた日は、父と一緒に泣きました。父は軍人だったからショックで仕事ができないほど。このドラマに出てくるハルの父の気持ちもよーくわかりますよ。負けてるってわかってても口に出すのが辛かった。日本人の意地で、負けたと子どもに言いたくなかったのでしょう。
(80歳、長野県出身の一世。1926年渡伯、サンパウロ市在住)


細樅良盛さん

細樅良盛さん

 ハルの兄が亡くなる場面を観て、私もこっちへ来てたった3ヵ月で子どもをひとり、欠水病で亡くしてしまったときのことを思い出しました。ドラマと同じように医者がいないし言葉がわからないし困った。バタタ(じゃがいも)の栽培は思ったより上手くいかず、その後土地を転々と変えて25年間トマト栽培をしたけれど、これまたドラマと一緒で雹(ひょう)にやられたこともありました。でもそんなの人並み。我々、苦労するために生まれてきたようなもんですよ。でもね、ドラマは苦労したとこばかり見せてる気がするけど、育てた作物が実ったときとか、物事を成し遂げた喜びもたくさんあるんですよ。吉と凶の繰り返しで今の日系社会ができたんです。
(83歳、鹿児島県出身の一世。1959年渡伯、サンベルナルド・ド・カンポ在住)

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この人に聞く!
〜移住者の歴史ドラマは偉大なる一歩〜
映画『ガイジン』の山崎千津薫監督

10月中旬、ブラジルの日系社会でも大いに話題となったNHK開局80周年記念ドラマ『ハルとナツ』について、映画『ガイジン』の監督、山崎千津薫さんにお話をうかがった。(取材・ニッケイ新聞編集長 深沢正雪)

GAIJIN2

 『ハルとナツ』の製作には、実の妹である百合薫さんが美術スタッフとして参加しているほか、撮影のロケ地となった東山農場の岩崎透社長とは昔からの友人である山崎監督。そのため昨年ブラジルで行われたドラマ撮影時には、制作の様子をまじかで見ていたという。「このドラマは移民の歴史を充分に語っていると思うか」という質問に対して、「たったひとつのドラマで百年の歴史を語るのは不可能でしょう。でも、この作品が先駆けになったという意味で、NHKは偉大な一歩をしるしたと思います」とコメントした。
 ある日系一家の1世から4世までの女性たちを描いた自作映画『GAIJIN2』との関連については、「私の映画は、ある移民女性から始まる4世代の物語。勝ち組負け組の紛争、70年代に裕福な非日系人との結婚、経済危機の90年代、そしてデカセギ現象。激動の時代を生き抜いてきたなかで、バラバラになった家族の絆を戻すために日本に戻るのが映画に登場する『バアチャン』の使命です。ブラジル側の視点に基づいた作品であり、この点が『ハルとナツ』とは大きく異なりますが、見知らぬ地に自分の将来を賭け、家族を犠牲にして苦労するパーソナリティには共通点があります」と分析した。 日系3世の彼女。その息子たちは四世世代になる。「私たちはオジイチャンたちから敬老の精神や、日本文化を忘れないことを学んできました。彼らは私たちに、自分たちが日本人であることを教えてくれたんです」と振り返る。
 一方で山崎監督は、日本にいる約30万人近いデカセギたちの境遇にも共感をおぼえると話す。「デカセギたちの大半はカルチャーショックに見舞われています。彼らは(オジイチャンに教えられたように)日本人として扱われることを期待してきましたが、日本では『ガイジン』であるという現実を理解するのには相当な困難があったことでしょう。このような不理解を減らすためにも、移民の歴史を描いたこのようなドラマはとても役に立つと思います」。

山崎千津薫さん

山崎 千津薫 (やまざきちづか)

1949年、ブラジル・リオグランデドスル州ポルトアレグレ市出身の3世。リオデジャネイロの連邦大学映画学科卒。1980年、自らが監督・原作・脚本を手がけた映画『ガイジン〜自由の道〜』を発表し、カンヌ映画祭で優秀外国映画賞など国内外43の映画賞を受賞。2005年には続編『ガイジン2』を完成させ、名古屋と東京で試写会を開いている。
URL:http://www.tizukayamasaki.com.br/


ブラジル移民メモ

 日本人のブラジル移住は、1908年(明治41年)の「笠戸丸」から始まりました。その数は戦前までが19万人、戦後は5万人にもおよび、ピークは1925年〜36年の昭和初期でした。
  戦前移住者の9割はコーヒー農園の契約労働者で、重労働に耐えていました。そのほとんどは、数年間働いてお金をためて故郷に錦を飾りたいという出稼ぎ移民でしたが、慣れない南米の土地、しかも大自然を相手にした厳しい農業で、思うような収入を得るためには困難の日々が続きました。日本が第2次世界大戦へ参戦すると、いよいよ帰国の道が閉ざされ、その後、敗戦を経て、徐々にブラジルに定着する移住者が増えていきました。戦後には、日本の勝敗をめぐって、「勝ち組」「負け組」という日本人同士の悲しい対立もありました。
  そんな激動の時代を経て現在、ブラジルの日系人は140万人ともいわれます。その8割以上が都市に住み、ほとんどが中産階級となっているだけでなく、「日系人=誠実、真面目で信用できる」との評価を得て、政治や経済、医学、芸術など幅広い分野で活躍しています。90年代からはブラジルの経済低迷も影響し、日本に「デカセギ」として逆戻りする現象が起こりました。現在、日本で生活する日系ブラジル人の数は、日本からブラジルに渡った移住者の数を超えたともいわれています。

 
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