海外移住資料館
新着情報
概要
常設展示
企画展・催し物
学習プログラム
利用案内・交通案内
図書資料室(海外移住)
ボランティア活動
海外移住資料館だより
移住資料ネットワーク化プロジェクト
キッズコーナー

情報検索システム
キッズコーナー貸出教材 いみんトランク 貸出についてはこちら
企画展『海を渡った花嫁物語』特別サイト 特別展示 移民の暮らし
特別展示 ハワイに生きる日系人

独立行政法人 国際協力機構 JICA横浜


 

 

公開講座「日本人と海外移住」
   

第9回「東南アジアへの移民」早瀬晋三(早稲田大学教授)

 
   

第9回概要
明治以降「太平洋戦争」の勃発までに東南アジアに移住した日本人は75,955人、同時期に世界各地に移住した日本人の9.8%にあたる。東南アジアへの「移民」は、ほかの国・地域と比べ、いくつかの特徴がある。まず、日本人「移民」や日本製商品を受け入れた東南アジア社会が、海域に属していたことである。日本からの視点で日本人や商品が優秀であったと語られることもあるが、流動性が激しく、かつて少人口社会であった海域世界では、ヒトやモノの移動が日常的で、「よそ者」は新たな知識や技術などをもたらし、舶来品は生活を豊かにしてくれる歓迎すべき存在だった。つぎに、タイを除き欧米の植民支配下にあり、日本軍が占領した地域であったことである。植民支配下・占領下では支配・占領された側の視点で残された資料が乏しく、支配・占領を正当化する危険性がある。これらふたつのことを念頭におかなければ、東南アジアでの「移民」の実態は理解できない。

第9回のレジメ(PDF形式)はこちらからダウンロードできます。

第9回報告
 東南アジア、海域東南アジア、近代東南アジア日本関係史、を専門とする早瀬先生により、「日本移民を東南アジアがどう受け入れたのか、世界史のなかでどう考えるか」という視点からの講義が始まった。
 1868〜1941年までの日本人国外移住者の約10%が東南アジア、その7割がフィリピンへの移民、ついでインドネシア、マレーシアが多く島嶼部や海域への移民が多かった。それには移住先が自由貿易国か保護貿易国かの差も関係していた。 また、移住先の特徴として、陸域定着農耕民社会とは異なる海域社会であること、そのため文書記録が少なく、被植民地側の視点での記録も少ないため、東南アジア側から歴史を語ることの難しさが説明された。
 戦前の日本から東南アジアへの移民はおもに出稼ぎ労働者であり、1903〜1905年に多くの日本人がアメリカ植民地下のフィリピンへ渡り労働力を提供した。何故フィリピン人や中国人ではなく日本人労働者だったのか、その背景についても解説があった。
フィリピンへは1907〜1912年に第二期の移民が渡ったが、第一期の失敗を反映し人数は少なかった。
 しかし、「ベンゲット移民」をはじめ日本人労働者への虚像が生まれたのはなぜか、評価の二面性がみられるのはなぜか、ナショナル・ヒストリーとリージョナル・ヒストリーとの関係から説明された。
 第一次世界大戦以後発展した麻産業が、日本や世界に与えた影響について、さまざまな角度からの解説があった。安価で粗悪な日本製品のフィリピンへの輸出、東京・横浜の金本位制による欧米貿易、大阪・神戸の銀本位制によるアジア貿易、ダバオでのマニラ麻栽培と女性・子ども人口の増加、新聞発行や子弟教育のための日本人学校設立など、それぞれが麻産業のグローカルな発展の影響をうけていることが解説された。
 戦後の交流として、親睦団体、戦没者慰霊碑建立、2世による同窓会、混血2世への支援などの活動が現在まで続いていることが紹介された。さらに日本への日系人労働者の流入は、南米からだけではなく、フィリピンからもあったことが説明された。
 最後に、植民地支配の歴史やフィリピンと日本の関係から、アメリカ中心の世界秩序や国際交流のあり方についての問題が提示され、質疑応答へ移った。
 東南アジアへの移民はどこからどのように渡っていったのか、海域社会という特徴と植民地支配下にあったことの現代フィリピンへの影響、ナショナル・ヒストリーとリージョナル・ヒストリーの関係、植民地支配下の教育についてなど、多くの質問とそれらに対する回答があり、第9回公開講座は盛況のうち終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
このページの先頭へ
JICA ロゴ
海外移住資料館ホームページHOME